初代 安齋才作
第14代嬬恋村長として地域社会をリードし、商業界に進出して安齋商店の基盤を築いた。
二代 安齋才作
草津町に進出した安齋商店を株式会社にまで発展させ、温泉地に初めて鉄筋コンクリートの店舗を建築して飛躍を図った。
三代 安齋文彌
倉庫を大きく改増築し、取扱品数も飛躍的に増えた。草津町商工会長を務める等、町へも貢献し、基盤を強固なものにした。
四代 安齋浩
東京の業務用酒販店に就職後2000年に草津に戻り家業を支える。
洋酒が好きでワイン、ウィスキー等、次々と種類を増やし、今日も情報収集に奮闘している。
大正8年 嬬恋に安齋商店を開業
初代才作は実業界に理想を持っていた。
大正8年、軽井沢から軽便鉄道が嬬恋に敷かれるや、いの一番に進出。間口11間、奥行き6間半、二階建ての大店舗を構え、小売り並び運送業を開業して繁盛した。大正15年 草津に進出
大正15年、草軽電鉄が草津に延長するや、嬬恋店は長女ツヤと婿幸男に任せて、長男勇(二代才作)と草津に進出して運送業並びに小売業を開始した。
開業はしたものの、草津は修羅場であった。スタートは順風満帆とはいかなかった。だが、このピンチも二代才作の人一倍の努力と妻郁(いく)の内助の功で乗り切った。昭和6年 二代 安齋才作 二代目取締役社長就任
昭和10年 二階建ての店舗を新築
昭和31年 草津初の鉄筋3階建ビル竣工
商才を発揮した二代才作はまたチャレンジ精神も旺盛だった。
温泉の強い酸性のため草津に鉄筋のビルは無理とされていた昭和31年に、草津初の鉄筋3階建ビルを竣工させて世間をアッと驚かした。
さらには、サッポロビール、キッコーマン、ヒゲタ、日清製粉、ホーネン、日本製粉、サントリー、メルシャン、ミツカンなどの特約店を次々と取得した。
昭和46年、草津温泉の隣村である嬬恋村鎌原(かんばら)にレストランを開業。
昭和56年、酒屋業に力を注ぐためにレストラン業を撤退し、貸店舗として形を残した。昭和63年 安齋文彌 三代目取締役社長就任
平成10年 倉庫を改増築
平成29年、POSレジを導入、免税店としての営業許可取得、食品衛生責任者資格取得。
平成30年 各種クレジットカード決済、キャッシュレス決済を導入し、平成31年には、店舗改装、着工予定。令和3年 安齋浩 四代目取締役社長就任
令和3年 店舗建て替えに平成31年から取り掛かり、令和3年7月のリニューアルオープン後に就任。
初代 安齋才作
第14代嬬恋村長として地域社会をリードし、商業界に進出して安齋商店の基盤を築いた。
大正8年 嬬恋に安齋商店を開業
大正15年 草津に進出
大正15年、草軽電鉄が草津に延長するや、嬬恋店は長女ツヤと婿幸男に任せて、長男勇(二代才作)と草津に進出して運送業並びに小売業を開始した。
開業はしたものの、草津は修羅場であった。スタートは順風満帆とはいかなかった。だが、このピンチも二代才作の人一倍の努力と妻郁(いく)の内助の功で乗り切った。二代 安齋才作
草津町に進出した安齋商店を株式会社にまで発展させ、温泉地に初めて鉄筋コンクリートの店舗を建築して飛躍を図った。
昭和6年
二代 安齋才作 二代目取締役社長就任
昭和10年
二階建ての店舗を新築
昭和31年
草津初の鉄筋3階建ビル竣工
商才を発揮した二代才作はまたチャレンジ精神も旺盛だった。
温泉の強い酸性のため草津に鉄筋のビルは無理とされていた昭和31年に、草津初の鉄筋3階建ビルを竣工させて世間をアッと驚かした。
さらには、サッポロビール、キッコーマン、ヒゲタ、日清製粉、ホーネン、日本製粉、サントリー、メルシャン、ミツカンなどの特約店を次々と取得した。
昭和46年、草津温泉の隣村である嬬恋村鎌原(かんばら)にレストランを開業。
昭和56年、酒屋業に力を注ぐためにレストラン業を撤退し、貸店舗として形を残した。
三代 安齋文彌
倉庫を大きく改増築し、取扱品数も飛躍的に増えた。草津町商工会長を務める等、町へも貢献し、基盤を強固なものにした。
昭和63年
安齋文彌 三代目取締役社長就任
平成10年 倉庫を改増築
平成29年、POSレジを導入、免税店としての営業許可取得、食品衛生責任者資格取得。
平成30年 各種クレジットカード決済、キャッシュレス決済を導入し、平成31年には、店舗改装、着工予定。四代 安齋浩
東京の業務用酒販店に就職後2000年に草津に戻り家業を支える。
洋酒が好きでワイン、ウィスキー等、次々と種類を増やし、今日も情報収集に奮闘している。
令和3年
安齋浩 四代目取締役社長就任
令和3年 店舗建て替えに平成31年から取り掛かり、令和3年7月のリニューアルオープン後に就任。